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  (高知県の観光)



お遍路記

(高知県)
―土佐の国「修行の道場」―


四国八十八ヶ所霊場
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弘法大師

高野山

四国別格二十霊場


四国霊場奥の院

お遍路とは・四国八十八ヶ所巡りの由来

必要な用具・巡拝手順


本尊について


遍路記録





第二十四番札所 室戸山(むろとざん) 最御崎寺(ほつみさきじ)
御朱印 お姿 開基・本尊・御真言 札所について
開基・弘法大師
本尊・虚空蔵菩薩
御真言のうぼうあきゃしゃきゃらばやおんありきゃまりぼりそわか

室戸市室戸岬町4058-1
0887-23-0024
  大師が最初に悟りを開いた場所
最御崎寺は弘法大師と大変ゆかりの深い寺で、唐から帰国した弘法大師が、大同2年(807年)に真言密教の修行の道場として建立。本尊は弘法大師が自ら虚空蔵菩薩を彫って、安置したといわれている。又、国の重要文化財如意輪観音像は空海が唐から持ち帰られたものとつたえられる。わが国の全重要文化財中、唯一の大理石の仏像です。嵯峨天皇以来の勅願所となり、足利尊氏は安国寺と指定、栄華をきわめた。その後衰退、江戸時代初期に再興、現在の本堂は大正3年に再建。明治になるまで、真言道場として女人禁制であった。室戸岬は今を去る1212年前、延暦11年(792年)迷える青年真魚、18歳の御時「虚空蔵求聞持法(こくぞうもんじほう)」を勤行、出家得度の決心をなされた聖地です。この地で自らを空海と名乗った。この洞窟は御厨大洞(みくろどう)または御蔵堂(みくらどう)と呼ばれ、国道55号線に面し、海を背に、右側の洞窟が修行の場、明星が口から入り身体を貫くという神秘的な体験をし悟りを開いたといわれます
鐘石
山 門 本 堂 大師堂 鐘楼堂




第二十五番札所 宝珠山(ほうじゅざん) 津照寺(しんしょうじ)
開基・弘法大師
本尊・楫取地蔵菩薩
御真言・おんかかきびさんまえいそわか

室戸市室津2644
0887-23-0025
  室津港を見下ろす通称「津寺(つでら)」
室津港を見下ろす小高い丘の上にたたずむ「津照寺」は通称「津寺」とよばれています。弘法大師が四国御修行の砌、山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠(ほうしゅ)に似ているところから霊地とし地蔵菩薩を自ら刻まれ本尊とし、宝珠山真言院津照寺と号されました。本堂は参道正面の小高い丘陵の上に鎮座しております。珠門をくぐり右へ入ると大師堂、納経所、檀信徒会館があります。本堂に向う石段は真直ぐと天に続くかのような趣、かなりの急勾配で皆、真ん中の手摺を利用して上がります。そして石段の途中には竜宮城を思わせるような鐘楼門兼仁王門。石段を昇りつめた所、本堂の正面には太平洋が広がります。眼下には室津川の河口と室津港、右の方には行当岬が見えます。
巡礼日
鐘楼門 本 堂 大師堂
山門の中にあります




第二十六番札所 龍頭山(りゅうずざん) 金剛頂寺(こんごうちょうじ)
開基・弘法大師
本尊・薬師如来
御真言・おん ころころせんだりまとうぎそわか

室戸市元乙523

0887-23-0026
駐・有料
  ここ金剛頂寺は「西寺」と呼ばれています
室戸岬から少し西に進んだ行当岬背後の高台に位置しており、寺域は3万3000平方mにも及びます。この寺は大同2年(807)、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開基しました。その当時は金剛定寺と呼ばれていました。文明18年(1486)に金堂が建立された際には、根来寺学匠道瑜阿闇梨(ねごろじがくゆあじゃり)が来寺して、大曼荼羅供養(だいまんだらくよう)がおこなわれました。平安時代には室戸市の大部分を寺領とする大寺院だった金剛頂寺、長宗我部氏や山内氏など代々の土佐藩主からも信仰を集め、立派な伽藍が整えられました。また寺には寄生植物ヤッコウソウも自生しており、これは県の天然記念物に指定されております。
一粒万倍の釜
山 門 本 堂 大師堂 鐘楼堂




第二十七番札所 竹林山(ちくりんざん) 神峰寺(こうのみねじ)
開基・行基
本尊・十一面観音菩薩
御真言・おんまかきゃろにきゃそわか

安田町唐の浜2594
0887-38-5495

駐・有料
  天照大神など諸寺をまつったのがはじまり
「待縦」と呼ばれる急勾配の山道を登る神峰寺は、かつては難所として遍路泣かせの土佐路の開所寺でした。神功(じんぐ)皇后が戦勝を祈願することを目的に、天照大神など諸寺をまつったのがはじまりといわれています。その後、行基が十一面観世音菩薩を刻んで本尊とし、神仏を合祀しました。弘法大師が聖武天皇の勅命により来錫、諸堂を整えます。明治時代には神仏分離令で廃寺となり、本尊の十一面観世音は金剛頂寺へとうつされました。しかし明治17年には再興されました。

巡礼日
山 門 本 堂 大師堂 鐘楼堂




第ニ十八番札所 法界山(ほうかいざん) 大日寺(だいにちじ)
開基・行基
本尊・大日如来
御真言・おんあびらうんけんばざらだどばん

野市町母代寺476
0887-56-0638
  楠木の大木に爪で薬師如来を刻んだ
天平年間(729~748)、行基が開基し弘仁6年(815)、弘法大師によって再興された寺です。大師は、楠の大木に爪で薬師如来を刻んだとされています。慶長年間(1596~1614)以降は、土佐藩の祈願時として、寺運は大いに栄えました。その後、廃仏毀釈のあおりをうけて、廃寺となってしまいます。しかしながらその間も地元の人達は、本堂を大日堂として守り続け、明治17年に再興し現在に至っています。

奥の院
山 門 本 堂 大師堂 鐘楼堂




第ニ十九番札所 摩尼山(まにざん) 国分寺(こくぶんじ)
開基・行基
本尊・千手観音菩薩
御真言・おんばざらたらまきりく(そわか

南国市国分546
088-862-0055
  紀貫之が、国司として4年間滞在
「諸国で最も良い土地を選んで建てよ」という聖武天皇の勅願により、天平13年(741)に行基が創建した寺です。天皇自ら金光明最勝王経を書写して納め、天下泰平、五穀豊穣、万民豊楽を願う祈願所と定められました。本尊は千手観世音菩薩。後に弘法大師が真言宗の寺として中興。除災・招福の星祭の秘法を修めて、四国霊場に定めました。一帯は「土佐日記」の作者・紀貫之が、国司として4年間滞在した国府の地としても有名です。歴代天皇の尊信厚く加護され、のち長宗我部国王、山内藩主より寺願を受け、伽藍の維持は計られてきました。明治37年金堂が当時の内務相より特別保護建造物の指定を受け、ついで昭和7年国の補助を仰ぎ、解体大修理が行われました。大正11年には往時を偲ぶ土檀が残っていることから境内地全域が史蹟としての国の指定を受けました。現在、金堂や仏像、楚鐘等重文を有し、1250年の歴史を今日に伝えています。
巡礼日
山 門 本堂 大師堂 鐘楼堂




第三十番札所 
百々山
(どどざん) 善楽寺(ぜんらくじ)
開基・弘法大師
本尊・阿弥陀如来
御真言・おん あみりたていぜい からうん

高知市一宮2501
088-846-4141
  土佐神宮(一の宮)の別当寺として建立
土佐神宮(一の宮)の別当寺として大同年間(806~809)に弘法大師によって建立されました。もう一つ別当寺としては、神宮寺というものもあり、共に一の宮の別当寺として法灯を維持してきました。明治の神仏分離令により、一時は廃寺となりましたが、その後国分寺より、預けておいた大師像を環座し、昭和5年2月24日落慶式及び入仏式をあげ、再興しました。しかし、一足早く復興した安楽寺が第三十番札所として公認されていた為に、それ以降は三十番札所が二ヶ所ありました。その後、平成6年1月1日、善楽寺が第三十番札所、安楽寺が第三十番札所の奥の院と決まりました。
土佐神宮
山 門 本堂 大師堂
鐘楼堂はありません




第三十一番札所 五台山(ごだいざん) 竹林寺(ちくりんじ)
開基・行基
本尊・文殊菩薩
御真言・おん、あらはしゃのう

高知市五台山3577
088-882-3085
  中国五台山に似た山を探し伽藍を建立
神亀元年(724)、聖武天皇の「文殊菩薩の聖地、中国五台山に似た山を探し伽藍を建立せよ」という勅願により行基がこの地を選び開創した土佐屈指の古刹。聖武天皇は文殊菩薩の聖地・中国五台山で文殊菩薩に会う夢を見て、国内で五台山に似た山を探し出すことを行基に命じます。諸国を歩いた行基は土佐の五台山を選び、本尊の文殊菩薩を自ら刻んで堂塔を建立しました。

五重塔
山 門 本堂 大師堂 鐘楼堂




第三十ニ番札所 八葉山(はちようざん) 禅師峰寺(ぜんじぶじ)
開基・行基
本尊・十一面観音菩薩
御真言・おん まかきゃろにきゃそわか

南国市十市3084
088-865-8430
  海上交通の安全を祈願して建立された
神亀年間(724~728)、聖武天皇の勅願により行基が開基しました。その後弘法大師が来?、求聞持法(ぐもんじほう)を修し、土佐の海の航海安全を祈願しながら十一面観世音菩薩を刻んで本尊としました。寺は峰山の山頂にあることから(みねじ、みねでら、みねんじ)の愛称で親しまれているが、海上交通の安全を祈願して建立されたという由縁から「船(ふなだま)観音」と呼ぶ人も多いです。

巡礼日
山 門 本堂 大師堂 鐘楼堂




第三十三番札所 高福山(こうふくざん) 雪蹊寺(せっけいじ)
開基・弘法大師
本尊・薬師如来
御真言おんころころせんだりまとうぎそわか

高知市長浜857-3
088-837-2233
  延歴年間に弘法大師が開山
四国霊場の中には2ヶ所だけ禅宗に所属する寺があります。藤井寺とこの雪蹊寺です。延歴年間(782~806)に弘法大師が開山。もともとは少林寺高福寺と称した真言宗の寺であったというが、創建の時に弘法大師自らが御座大師像を刻んだといいます。鎌倉時代には仏師・運慶と長男の湛慶が来山。寺は運慶寺と改められます。その後、戦国時代玄峰和尚住職のころ、長宗我部元親の菩薩時となり元親の法名雪渓怒三大居士から雪渓寺と改められました。旧暦4月8日には花まつり、7月第3日曜日には安産子安地蔵祭が行われます。また本堂が新しく改築され、平成16年11月に落慶法要が行われます。
巡礼日
本堂 大師堂 鐘楼堂
山門はありません




第三十四番札所 本尾山(もとおざん) 種間寺(たねまじ)
開基・弘法大師
本尊・薬師如来
御真言・おんころころせんだりまとうぎそわか

春野町秋山72
088-894-2234
  百済の仏師が彫った薬師如来を本尊に
種間寺の創建は古く、用明天皇(6世紀後半)にさかのぼります。百済からの仏師が帰国途中に土佐沖で暴風雨に遭ってしまいます。そこで、やむなくこの地に近い秋山港に避難。四尺八寸(約145cm)の薬師如来を刻み、本尾山山頂に安置して航海の安全を祈願しました。その後、平安時代の初期には弘法大師が来錫、百済の仏師が彫った薬師如来を本尊に、寺を開創したといいます。

巡礼日
本堂 大師堂 鐘楼堂
山門はありません




第三十五番札所 医王山(いおうざん) 清滝寺(きよたきじ)
開基・行基
本尊・厄除薬師如来
御真言おん ころころせんだりまとうぎそわか

土佐市高岡町丁568-5
088-852-0316
  大師が五穀豊作を祈って歓請
養老7年(723)、行基が薬師如来を刻み、開基した寺。その当時、寺号は影山密教釈本寺と称していたといいます。その後、弘仁年間(810~824)には弘法大師が巡錫、寺の北方300mの岩に築檀して7日間修法しました。大師は五穀豊作を祈って閼伽井権現と龍王を歓請。寺号を医王山清滝寺鏡池院に改めました。この寺は弘法大師の高弟で、平城天皇の第三皇子高岳(たかおか)法親(法名 真如)ゆかりの寺としても有名です。

清滝寺楼門天井画

山 門 本堂 大師堂 鐘楼堂




第三十六番札所 独鈷山(どっこうざん) 清龍寺(しょうりゅうじ)
開基・弘法大師
本尊・波切不動明王
御真言・のうまくさんまんだばざらだん せんだまかろしゃだそわたやうんたらた かんまん

土佐市宇佐竜163
088-856-3010
  日本にも清龍寺建立を
延歴23年(804)、唐に渡った弘法大師は長安の清龍寺で恵果和尚に真言密教の奥義を授けられました。帰国にあたっては、日本のも清龍寺建立をと考え、「約束に地に飛んでいけ」という願いも込め、独鈷杵(とこしょ)を東の空に投げました。その後帰国した大師は、四国を巡錫し、老松に自らが投げた独鈷が刺さっているのを見つけました。大師は嵯峨天皇に奉聞した後に、一宇を建立して不動明王の石像を安置したといいます。

巡礼日
山 門 本堂 大師堂 鐘楼堂




第三十七番札所  藤井山(ふじいざん) 岩本寺(いわもとじ)
開基・行基
本尊・
 阿弥陀如来

 観世音菩薩
 不動明王
 薬師如来
 地蔵菩薩


窪川町茂串3-13
0880-22-0376
  行基が七難即滅・七福即生を祈念して建立
岩本寺とは福円満寺と称され、天平年間(729~748)に聖武天皇の勅願で、行基が七難即滅・七福即生を祈念してこの地に仁井田七寺を建立しました。弘仁年間8810~824)にはこの地を訪れた弘法大師が、更に五社五ヶ寺を建立しました。一ノ宮に本地仏の不動明王、二ノ宮に観世音菩薩、中ノ宮に阿弥陀如来、四ノ宮に薬師如来、森ノ宮に地蔵菩薩を安置しました。また、大師自らが「星供養曼荼羅」を書き写し、星供(ほしく)秘法を修められました。先に行基が建立した7ヶ寺と会わせて、仁井田十二福寺と呼ばれ、寺運は盛んだったといいます。
マリリンモンローの天井絵
御真言・おん あみりた ていぜい からうん
御真言・おん あろきゃ そわか
御真言・のうまくさんまんだばざらだん せんだまかろしゃだ
    そわたやうんたらた かんまん

御真言・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御真言・おん かかかびさんまえい そわか
山門 本堂 大師堂 鐘楼堂




第三十八番札所 磋跎山(さださん) 金剛福寺(こんごうふくじ)
開基・弘法大師
本尊・三面千手観音菩薩
御真言・
おんばざらたらまきりく(そわか)

土佐清水市足摺岬214-1
0880-88-0038
  弘法大師が修行をしたと伝えられる寺院
四国の最南端、弘法大師が修行をしたと伝えられる足摺岬の突端に位置するこの寺は、12万平方mの広大な敷地を誇る大寺院です。この地で千手観音を感得した弘法大師が嵯峨天皇より「補陀洛東門(とだらくとうもん)」の勅願を賜り、堂宇を建立しました。補陀洛とは、インドの南岸にある観音様の住む山のことで、観音浄土として崇拝されている土地を表します。この寺は、その聖地の人口の東門にあたる場所とされていました。以来、寺は代々天皇家の勅願所となり、平安時代後期には観音霊場として幅広い信仰を集めます。
巡礼日
山門 本堂 大師堂 鐘楼堂




第三十九番札所 赤亀山(しゃっきざん) 延光寺(えんこうじ)
開基・行基
本尊・薬師如来
御真言おんころころせんだりまとうぎそわか

宿毛市平田町中山390
0880-66-0225
  井戸水で目を洗って眼病治癒を祈願
神亀元年(724) 聖武天皇の勅願を受けて行基が開基し、本坊と12坊を建立しました。本尊の薬師如来は行基が自ら一刀三礼しながら彫り上げたものです。延歴14年(795)、垣武天皇の勅願所となり、弘法大師が巡鍚。日光・月光の両脇寺を安置して札所に定めて寺を再興しました。大師が「眼洗い井戸」の霊水を湧出させたのは、この時のことです。現在も眼病にご利益があるとい伝えられ、信者は井戸水で目を洗って眼病治癒を祈願しています。

眼洗井戸
山門 本堂 大師堂 鐘楼堂
 (お寺の説明は農旅連「四国八十八ヶ所巡礼の旅」パンフレットを参考にしています)




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