壇上伽藍の東北方にある。1869年(明治2年)、いずれも豊臣秀吉ゆかりの寺院である青巖寺と興山寺を合併し、金剛峯寺と改称した。青巖寺(剃髪寺)は秀吉が亡母の菩提のために建立したもので、豊臣秀次が自刃した場所としても知られている。金剛峯寺の主殿は江戸末期文久3年(1863年)に再建された、東西
54 m 南北 63 m の書院造建築である。「金剛峯寺」の寺号は空海が名付けたもので、元来は高野山全体を指す名称であったが、明治期以降は、高野山真言宗の管長が住むこの総本山寺院のことを「金剛峯寺」と称している。