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   (高知県の観光)



お遍路記

四国霊場奥の院


弘法大師

高野山

四国霊場八十八ヶ所
徳島 高知   愛媛   香川

四国別格二十霊場


奥の院参りを終えて・・

お礼参り。。





  奥の院 徳島県  
 

八葉山 東林寺第1番札所 霊山寺奥の院)

御本尊 種蒔大師
御真言 なむだいしへんじょうこんごう
納経所 東林寺

大同年間西暦808年頃弘法大師当地へ遊化し東林院に御滞在農事奨励の為自ら鍬を取り米麦の種を蒔き、厄病早魃の為には御祈念御祈祷ありてその害を救い給い又民衆を集めて真言の教えを説き菩薩の善種を蒔き給う。庶民の大師の御徳を慕う事恰も赤子の慈母に於けるが如し。茲において大師当地を御出発に当たり庶民の熱望に答えて等身の尊像を彫刻し給う。世にこれを「種蒔弘法大師」と崇め奉る。
場 所 鳴門市大麻町大谷字山田59
      
088-659-0052

東林寺本堂 東林寺大師堂


金鶏山 愛染院(3番札所 今泉寺奥の院)

御本尊 不動明王
御真言 なうまくさんまんだばざらだんせん 
    だまかろしゃだ そわたやうんたらたかんまん
納経所  愛染院
弘仁7(816)の昔、弘法大師がこの地を御巡錫の砌、この地を霊地と定められ、一宇を建立し、自ら不動明王の坐像を刻まれた。不動明王の坐像は珍しく、日本全国に3体しか存在しない。納経書は四国唯一・刷毛書梵字で書かれ、四国では当院だけであり、全国でも非常に珍しいものである。境内には大師御手植の「なんじゃもんじゃ」の植物は珍しく、後に「カクレミノ」という南洋植物であったといわれています。
場 所 徳島県板野郡板野町那東居内32    088-672-1480

愛染院山門 愛染院本堂 愛染院大師堂 愛染院鐘楼堂


五百羅漢5番札所 地蔵寺奥の院)

御本尊 釈迦如来
御真言 なうまくさんまんだぼだなんばく
納経所 地蔵寺

羅漢さんとは、お釈迦様の弟子であり、仏道修行して阿羅漢果という人間として最高の位を得た人である。その羅漢さんを五百人集めたのが五百羅漢であり、その姿は喜怒哀楽の表情をうかべた実に人間味のある仏さんである。創建は安永4年であるが、大正年間焼失し、現在あるのはその後に復興したものである。
場 所 徳島県板野郡板野町羅漠    088-672-4111



八祖大師10番札所 切幡寺奥の院)
納経所 切幡寺
インドで生まれた密教の正統は、その後中国の高僧に受け継がれ、さらには九世紀の初め入唐した空海(弘法大師)がこれを継承して日本に持ち帰りました。
空海までの三国(インド・中国・日本)八代に及ぶこれら正統の祖師を八祖大師として大切にお祀りしています

場 所 徳島県阿波市観音129
    (切幡寺の大塔(国の重文)から80m上に歩きます)


大瀧山 建冶寺13番札所 大日寺奥の院

御本尊 金剛蔵王大権現
御真言 おんばざらくしゃあらんじゃん
納経所 建冶寺
当寺は、白鳳時代天智天皇の頃、役行者の開基にして金剛蔵王大権現を御本尊として発祀する。弘仁年間に至って、弘法大師四国巡錫第13番奥の院修験根本道場建冶寺として栄えた。本堂岩窟に安置せられる御尊像は、弘法大師御作と伝えられる。その後は蜂須賀公祈願所として変還、現在当寺には、蜂須賀公が刻ませた像を加えて二体の金剛蔵王大権現が祀られている。また当寺の不動明王は、行場の鎖を幾世のもわたって堅持し続けた霊木を彫り上げたもので、人は「身代わり不動尊」とも呼ぶ。
場 所 徳島県徳島市入田町金冶230    088-644-1232

建冶寺本堂 建冶寺大師堂 建冶寺鐘楼堂


延命山 慈眼寺14番札所 常楽寺奥の院)

御本尊 十一面観世音菩薩
御真言 おんまかきゃろにきゃそわか
納経所  常楽寺
本堂には十一面観音を本尊とし、脇仏には弁財天、毘沙門天を安置している。また本堂東前面に、生木地蔵尊の小堂あり(昔越中高岡の住人、田中喜八なる者境内に通夜大師より夢告あり絵に地蔵尊を刻め一願を叶えしめん)と、以後祈願成就する者跡をたたず。昭和299月の台風で古桧倒壊の被害を受けたが、尊像は瑕もなく現存している
場 所 徳島県徳島市国府町延命598    088-642-4525



蓮菜山 弁財天(第18番札所 恩山寺奥の院)

御本尊 弁財天
御真言 おんそらばていえいそわか
納経所 恩山寺
桓武帝延暦の頃、僧空海が恩山寺に於いて座禅瞑想修行の砌、東方海上の離島に龍燈をみとめ、入亀の姿美しきこの島に上陸し、容色端麗な女神を拝す。女神は「妾は太古よりこの海域を守護いたす弁財天なり」と言い海中に入り給う。よって空海慎みてこの処に弁財天を鎮祭し、四国第十八番恩山寺の奥の院となり、広く紀伊水道の海域を守護すると共に、人々に福徳を授け給う生神となる。現在の社殿は約400年程前の建立であり、金磯の弁天さんと親しまれている。弁財天は、恩山寺の鬼門に当たりその守護に勧請されたと伝えられている
場 所 徳島県小松島金磯町2



妙見山 取星寺19番札所 立江寺奥の院)

御本尊 虚空蔵菩薩
御真言 なうぼうあきゃしきゃらばやおんありきゃ 
    まりぼりそわか

納経所  取星寺
当山は桜の名所、岩脇公園の中にある。由来は、約1200昔、弘法大師が大龍の嶽にて求聞持法の修行中に出現した妖星(種々の災いを起こす星)を鈎召の秘法で降臨させた時、その星が当山山頂の松樹にかかったので、その星を拾い、妙見菩薩と虚空蔵菩薩の二尊を彫刻して本尊とし、お寺を建立して取星寺と称したことによる。足利時代には中興の祖増吽上人が三宝荒神を勧請して以来神徳赫々と輝いており、近隣の参拝者は多い。
場 所 徳島県那賀郡羽ノ浦町岩脇71   0884-44-2779



竜王山 黒滝寺21番札所 太龍寺奥の院)

御本尊 十一面観世音菩薩
御真言 おんろけいじんばらきりく
納経所  
黒滝寺
当山は黒滝山(標高760m)の山頂にあり、山岳修験者の道場として知られている。周囲を百軒滝と呼ばれる絶壁に囲まれ、そこには「三滝・七淵・五剣山」からなる厳しい行場がある。中でも「竜王淵」は底無しの淵で、弘法大師が山頂に棲む太龍を封じ込めた淵である。この日が817日で毎年この日の夜、各地から修験者が集まり、悪魔退散の紫燈大護摩が焚かれる。唱える般若心経の声は全山にこだまし、大護摩の炎は夜空をこがして天に舞う。
場 所 徳島県那賀郡木沢村大字阿津江字黒滝山5    0884-65-2601

黒滝寺鐘楼門 黒滝寺本堂 黒滝寺大師堂


弥谷観音22番札所 平等寺奥の院)
御本尊 如意輪観世音菩薩
御真言 おんはんどめいしんだまにじんばらうん
納経所 真光寺 阿南市福井町土佐谷4
 tel
0884-34-2686
  弥谷観音へ来てくれるが場所が離れているので前もっての連絡が良
当寺は弘法大師19歳時の修行地でその時、観音崖に観音像を刻みつけたと伝えられる。H6年に福井ダム治水工事に伴い、現在のダム湖より高い位置に移転した

場 所 徳島県阿南市福井町日の地372-5      


玉厨子山 泰仙寺23番札所 薬王寺奥の院)

御本尊 如意輪観世音菩薩
御真言 おんはんどめいしんだまにじんばらうん
納経所 薬王寺

当寺は、標高530mの玉厨子山の中腹にあり、文治4(1188) 薬王寺の大火の際、本尊が光を放ってこの奥の院の岩場へ難を逃れたとされている。本尊は如意輪観世音で古くより、この地方のとこからも見えるため、今で言うところの燈台がわりとして漁師等、船の関係の人からも信仰が篤かった
場 所 徳島県海部郡日和佐町西山

泰仙寺本堂 泰仙寺大師堂



奥の院 高知県

御厨人屈(みくろど)(四国霊場)
東側の洞窟
西側の洞窟
納経所 御厨人屈
弘法大師が青年時に求問持法を修行され、「明星来影す」と三教指帰に書かれている聖地で、明けの明星が突然海の彼方から洞窟の中に飛び込んできて大師の口から胎内に突入しました。この間空と海しか見えなかったことから法号を「空海」と改めました。洞窟は石の山に左右二つあって、(東側奥行き10m、西側40m、二つ共高さは8mぐらい)東側は寝起きしていた御厨人屈で、ここの波音は環境庁の「日本の音風景100選」に選ばれています。西側は修行していた神明屈

場  所 高知県室戸市室戸岬 R56沿い岬より少し東


一夜建立の岩屋第24番 最御崎寺奥の院
御本尊 如意輪観世音菩薩
御真言 おんはんどめいしんだまにじんばらうん

納経所 最御崎寺
弘法大師七不思議の一つで、一夜にして岩を刳り貫き室を作ったと伝えられている弘法大師が唐から持ち帰った大理石の本尊は重要文化財となっている。
場  所 高知県室戸市室戸岬
R56沿い「水かけ地蔵」西端を上へ


不動巌
第26番札所 金剛頂寺奥の院
不動岩がある行当岬(ぎょうどみさき)には高さ40mの不動岩があり弘法大師の修行の地であり行に当たられたので、行当西寺と呼ばれる。波切り不動として信仰を集めた。
明治始めまで女人禁制で女の人は入山できずここで納経したので女人堂として賑わった
御朱印はありません
場  所 高知県室戸市吉良川町
    R55道の駅「キラメッセ室戸」の東


神峯神社
(第27 神峯寺元札所)
建物は拝殿本殿を兼ねた珍しいもので昭和30年に高知県
保護文化財となっている。

軒下の木組みや彫刻などは見事すばらしい。

説明板には「大山祇命を祭神とし、天照大神ほかを祀っている。2600年前神武天皇東征のみぎり「神の峯として石を積み神籬を立て祭られたるに起源する」とある

御朱印はありません
場 所 高知県安芸郡安田町大字唐浜
    「第27番札所 神峯寺」の上で、車で行けます
 


爪彫り薬師(第28番 大日寺奥の院)

御本尊 薬師如来
御真言 おんころころせんだりまとうぎそわか

納経所 大日寺
弘法大師が、この地の大きな楠木に爪で薬師像を刻まれたので爪彫り薬師と呼ばれている。その後、明治のはじめ楠木は枯れてしまい、生えていた株の上にお堂を建て、木の一部を安置している。
お願ほどきには穴あき石を奉納する。堂脇の岩から湧き出る清水は大師のご加持水で古来より一度も水が枯れたことがない

場  所  高知県香南市野市町母代寺476
 大日寺の境内    088-756-0638



毘沙門堂(びしゃもんどう)
(第29番 国分寺奥の院)

赤橋の奥にある修行の滝は赤橋の奥にあり落差、上から10.5m・9m・8mの三段瀑の滝で、水が多いときは形が美しい滝である。大師が高野山を開く前年、この地を巡遊中にこの滝に身を浄めているとき、岩上に毘沙門天が現れたので、その像を刻んだ。後にこれを安置したのが、滝壷のそばにある毘沙門堂である
御本尊 毘沙門天
御真言
 おん べいしら まんだや そわか
納経所 国分寺
場 所 高知県南国市岡豊町滝本   県道384号線から北へ1kmほど入る



安楽寺
(第30番 善楽寺の奥の院)
御本尊 阿弥陀如来
御真言 おんあみりたていせいからうん

納経所 安楽寺
延喜年間(901-923)、菅原道真の長子である菅原高視が配流先の土佐国潮江高視の里で菅原道真逝去の知らせをうけて当地に天満宮を建立するに際し、築紫菩提寺に因り建立した寺とされる。その後、衰退、盛衰を繰り返し、江戸時代に号を金性院と改める。廃仏毀釈でついに廃寺にもなったが、再興され、現在に至っている。1992年迄善楽寺と共に四国88ヶ所第30番札所に定められていた。お遍路は納経長にどちらかの御朱印でよかったが、1993年1月1日より善楽寺を第30番札所、当寺を第30番札所奥の院と定められた。
場 所 高知県高知市洞ヶ島町5-3 高知駅のすぐ近く  
(088-872-1535)
安楽寺鐘楼門
安楽寺本堂
安楽寺大師堂


船岡堂
(ふなおかどう)
(第31番 竹林寺の奥の院)
御本尊 不動明王
御真言 なうまくさんまんだばざらだんせんだまかろしゃだ 
      そわたやうんたらたかんまん

納経所 竹林寺
当堂の名は明治の廃仏毀釈のあおりを受けて荒廃した寺を再興した当山住職・船岡芳信にちなんだもので、ある女性との仲を疑われたことを心外に思った和尚は、自らの睾丸を切り取って信頼を回復したという話など和尚にまつわる逸話は今でも数多く残されている。彼を埋葬した場所には拝殿が建てられ、この船岡堂に米一升を持って祈願すると一生に一度だけ願いが叶うと伝えられている。
場 所 高知県高知市五台山3577 竹林寺の境内 
  
(tel 088-882-3085) 


岩屋観音堂(第32番 禅師峰寺奥の院)
御本尊 石仏十一観世音菩薩
納経所 岩屋山 薬師寺

岩屋山 薬師寺はその石段(205段)までも車では入れず、広い農道に駐車する。その石段や灯篭などが大変な古刹であることを示している
奥の院は薬師寺から20分ほど山上に上がったところにある。
四国遍礼霊場記に「奥の院と号するところに龍穴二所あり」と記されている所がここではと思われている
場所 高知県高知市介良丙 1832 



中谷堂
(第33番 雪渓寺奥の院)

御本尊 聖観音
御真言 おんあろりゃかそわか

納経所  雪渓寺
詳細はわかりません。

土佐西国21番札所でもあります。

場所 高知県高知市横浜
 パチンコ店ホームラン土佐の駐車場奥の端を出
 少し右へ行くと案内棒が立っています。



本尾山奥之院
(第34番 種間寺奥の院)
御本尊 瑠璃光如来
御真言 おんころころせんだりきとうぎそわか

納経所 種間寺
摂津の四天王寺建立のため百済から招かれた仏師らが、仕事を済ませて帰国の途中、土佐沖で暴風雨に遭って漂着、航海の安全を祈って薬師如来を刻んで納めたのが起源とされ、伽藍は初め海岸に近い本尾山山頂にあったと伝えられている。
場 所 高知県高知市春野町甲殿   

   黒潮ライン「港公民館」を南へ、甲殿川に沿って東へ、住吉神社のすぐ東



閼伽井泉
(あかいのいずみ)
(第35番 清滝寺奥の院)
御本尊 虚空蔵菩薩
御真言 なうぼうあきゃしゃきゃらばやおんありき    ゃまりぼりそわか
納経所 清滝寺
この泉は延暦11年(792)室戸岬で修行し、伊予国へ向かう途中、この地に立ち寄った弘法大師がここで7日間修行され、満願の日に手にした金剛杖で壇前を突くと、忽ち清水が湧き出てきたという泉です。その湧き水が滝となり、鏡のような池を作り、大師は、当山の寺号を医王山鏡池院清滝寺と改められました。また、大師の杖の跡から湧き出た水を讃えて「澄む水を汲めば心の清滝寺 波の花散る岩の羽衣と詠歌にも歌われています。
場 所 
清滝寺の東端の道路を右方向へ


波切り不動(第36番 清龍寺奥の院)
御本尊 大聖不動尊
御真言 なうまくまんだだばだらだんせんだまかろしゃだ
     そわたやうんたらたかんまん

納経所 青龍寺
弘法大師空海は延歴23年(804)、唐に渡り長安の清龍寺で恵果和尚に真言密教の奥義を授けられ真言八祖となられた。帰国にあたり恩師報恩の為一宇を建立したし、景勝の地に留まれ、と独鈷杵(とこしょ)を日本に向かって投げられた。大師四国巡錫の際、当地の古松に懸かっている独鈷杵を感得され、此所に一宇を建立、寺号をし独鈷山清龍寺として不動明王の石像を安置された。太平洋の岸壁に立っていて、長年女人禁制が守られてきた。
三十六童子の像があるところからは、土足の参拝は厳禁

場 所
 高知県土佐市宇佐町
横波スカイライン国民宿舎の入り口辺


矢負いの地蔵
(第37番 岩本寺奥の院)

御本尊 矢負地蔵尊
御真言 おんかかかびさんまえいそわか

納経所 岩本寺
昔、岩本寺の観音様を深く信仰する猟師が住んでいた。殺生につがる狩りは気がのらず、貧しい暮らしをしている上に年貢の徴収、余り気が向かぬまま狩りに出かけたが、一匹の獲物も取れず絶望した猟師は、弓に矢をつがえ、わが身を貫いて倒れた。猟師は、女房のゆさぶりに目をさまし、傍らの地蔵さんに目をやると胸に矢の根が深く突き刺さったお地蔵様が身代わりになって倒れていた。猟師が願をかけた観音様を「福観音」身代わりになった地蔵様を「矢負いの地蔵」といい、奥の院の本尊として安置している。
場 所 高知県高岡郡窪川町茂串3-13
 岩本寺の大師堂tel 0880-22-0376



眞念庵
(日本第一霊場)

御本尊 地蔵?
御真言 おんかかかびさんまえいそわか

納経所 眞念庵納経所 tel0880-84-0233大塚
(山本ストアーの左前)
真念法師は、四国88ヶ所札所中、37番札所岩本寺から38番札所金剛福寺、39番札所延光寺までは距離が長く難行道程であるため、三寺を結ぶ中間地(市野瀬)に、天和(16811683)の頃、地蔵大師堂を建立しました。この地蔵大師堂はいつしか真念庵と呼ばれるようになり、庵の前に四国88ヶ所札所の本尊石仏を設置し、38番札所足摺金剛福寺の打戻りの宿や荷物置場として利用されるようになりました。この庵から38番札所金剛福寺までの7里の遍路道に、一丁間隔で350丁の丁石(道標石)が設けられています。これを「足摺遍路道三百五十丁石」と呼んでいます。足摺の地は古くから「補陀落東門(ほたらくとうもん)」(観音菩薩の澄む山の東門)と呼ばれ、各地から多くの巡礼者が来ています。地図のない時代、知らない土地で、この丁石を頼りに金剛福寺への巡礼をしたと思われます。
眞念法師は弘法大師に帰依し、四国八十八カ所の霊場を巡ること20余度、四国遍路のガイドブックとしては最も古い「四国遍路道指南」、「四国遍礼功徳記」の著者であり、遍路道の200カ所に道標を建立した業績も大きく、四国遍路の基礎を築いた人物として仰がれています。

場 所 高知県土佐清水市下加江市野瀬

      321新伊豆田トンネルの西
   レストラン水車亭の
すぐ手前を北、旧Rへ50100mから徒歩5



白山神社
(第38番 金剛福寺奥の院)
元は白皇山真言修験寺と称し、本尊の白皇権現を白皇山山頂(433)に祀っていたが、
明治の神仏分離令により廃寺となり、白皇神社となった。大正五年(1916)に足摺岬海食洞門の上に祀られていた白山権現と合祀され、現在の白山神社になった。

御朱印 白山神社でいただけるという情報あり
場 所 高知県土佐清水市足摺岬
      金剛福寺の少し西


南光院
(第39番 延光寺奥の院)
御本尊 不動明王
御真言 なうまくまんだだばだらだんせんだまかろしゃだ
     そわたやうんたらたかんまん

御朱印はありません。
詳細はわかりません。
場 所 高知県宿毛市平田町中山
    延光寺から500m上下ニ叉路を左(上)へすぐ




奥の院 愛媛県

龍光院(りゅうこういん)(第40番観自在寺奥の院)

 四国別格二十霊場の第6番札所 龍光院観自在寺奥の院です
 四国別格二十霊場をご覧下さい。



杖の渕(じょうのふち)(第48番 西林寺奥の院)
御本尊 弘法大師
御真言 なむだいしへんじょうこんごう

納経所 西林寺
昔、弘法大師さまが当地を巡錫された時、喉の渇きを覚え水を所望した。どの家でも水を貰えない、とあるあばら家で老婆に水を請うた。老婆は長い時間経って一杯の水を持って帰ってきた。遠く離れた泉まで水を汲みに行ったのである。大干ばつで里人は飲む水にも困り果てていたのです。大師さまは手にした錫杖で地を突き、祈念したところ水が湧き出て大きな泉となり、人々の窮地を救い、以後どんな干ばつの時でも一度も枯れたことがありません。透明度の高い池の中にはきれいな水の中でしか育たない地元で「テイレギ」と呼ばれる水中植物が生えており、市の天然記念物に指定されています。
場  所 愛媛県松山市南高井町「杖の渕公園」
 


牛之峰地蔵堂(第49番 浄土寺奥の院)
御本尊 地蔵尊
御真言 おんかかかびさんまえいそわか

納経所 浄土寺
地蔵尊を祀っているお堂がある頂上は公園になっていて、その奥にミニ88カ所石仏が並んでいる。地蔵尊は霊験高く昔は近郷近在の信者、いろんな祈願をし、また叶えられるお地蔵さんとして信仰厚かった。
場  所 愛媛県松山市鷹子町1198
      浄土寺境内より遊歩道を10分ほど登る


石鉄寺(第51番 石手寺奥の院)
御本尊 釈迦如来
御真言 なうまくさんまんだぼだなんぼく
納経所 石手寺
石鉄寺の寺法によると名前の様に、源流は石鎚山であり峯の形も似ており修剣道の霊地として中世以前より大伽藍の形跡を残している。弘法大師が青年僧空海の時代に四国の石鎚山等の辺土し御修行を重ねられたことは弘法大師の「三教指帰」に詳しく書かれている。現在この地に洞窟、修行瀧、そして弘法大師の御姿を想像できる地形を今に残している所在地だと思われます
場  所 愛媛県伊予郡広田村総津


経ケ森(第52番 太山寺奥の院)

御本尊 十一面観音菩薩
御真言 おんまかきゃろにゃかそわか
納経所 太山寺

今から約1400年前の昔、豊後の国の真野長者が商いの為船団で瀬戸内海を航行中、伊予の高浜の沖に差し掛かり大嵐に遭遇、逆巻く波に船団が今にも難破をしかかったその時、長者は日頃より篤く信仰していたお観音様に皆の無事を祈ると、不思議な事に暗天の山の頂きより一筋の光明が輝き、闇夜の海を照らし出し、おかげで無事危難を逃れ船団を高浜の岸に寄せることができたのです。岸に上がった一同は光明の輝いた山に上って見ると、そこには小さな草堂があり、なんと一寸八分の十一面観音様がまつられていたというこの地です。
場 所 愛媛県松山市太山町1730(太山寺本堂横を上へ徒歩30分)089-976-0329 



海岸山観音堂(第53番 圓明寺奥の院)
御本尊 十一面観音菩薩
御真言 おんろけじんばらきりく

納経所 圓明寺
奥の院は行基菩薩が上表し、第45代聖武天皇の叡聴を蒙り、勅願所として和気海浜坂浪西山に海岸山円明寺が創建された」。七堂伽藍を備えた立派な寺院だったが戦国時代に兵火にあい、元和10年、本堂などが現在地に再建された後、跡地にはこのお堂が建てられ、奥の院とした。
場 所 愛媛県松山市勝岡町 県運転免許センター付近


圓明寺(第54番 延命寺奥の院)
御本尊 薬師如来
御真言 おんころころせんだりまとうぎそわか

納経所 延命
当時この寺には近見千坊と言われる程たくさんの堂宇があり、学問の寺として栄えていた。凝然国師の八宗綱要は有名であるが、見晴らしの良い所に薬師如来と並んで来島海峡を行き交う船の安全を見守ったのだろうか。いつの頃からか延命寺山門をくぐったすぐ左手の所に薬師如来は祀られている
場所 愛媛県今治市阿方甲636     0898-22-5698


別宮大山秖神社(第55番 南光坊の元札所)
詳細はわかりません

納経所 別宮大山秖神社
場 所  愛媛県今治市別宮町3
       南光坊のすぐ近くです。


龍泉寺(第56番 泰山寺奥の院)
御本尊 十一面観音菩薩
御真言 おおんまきゃろにきゃそわか
納経所 龍泉寺すぐ下のコーヒー店「阿奈波」にて

当山は養老年間、行基菩薩の開基にして、自ら不動尊を作り安置し天聖院と称されていた。その後寺号を改称、火災で焼失もした。大正4年に現在地に本堂を新築し、名称を石鉄山龍泉寺と称するようになった。正面格子戸上の朱色の丸額は鏝絵(こずえ)で作られており、日本でも珍しいと新聞テレビで紹介された

場 所 今治市小泉2丁目8-18  
泰山寺より少し北方


星が森石鎚山遥拝所(60番 横峯寺奥の院)

御本尊 石鉄蔵王権現
御真言 おんばざらくしゃあらんじゃうん
納経所 横峯寺

縁起に白雉2(651)役の小角(役の行者)が星が森にて修行中、石鎚山頂に蔵王権現を見られた。後年弘法大師が登山され42歳厄除けの為、星祭りを修法された時、石鎚山頂に再び蔵王権現が示現された。後年この山頂を星が森と呼ぶようになった。本當の奥の院は石鎚山である。 
場 所 愛媛県周桑郡小松町石鎚2253    0897-59-0142



白瀧(第61番 香園寺奥の院)
御本尊 不動明王
御真言 なうまくさんだざばらだんせんだ
まかろしゃだそわたやうんたらたかんまん
納経所 白瀧
昭和8年2月に改創され、白瀧に本尊不動明王、セイタカ童子、コンガラ童子を祀る。年中を通して滝行が常時自由にできる。
場 所 愛媛県周桑郡小松町南川
 香園寺近くの小松小学校より西南約2kmの山中


石鉄山 奥前神寺(第64番 前神寺奥の院

御本尊 石鉄山蔵王大権現
御真言 おんばざらくしゃあらんじゃうん
納経所 前神寺

64番札所、石鉄山 前神寺の奥の院は石鎚山そのものです。前神寺が元々は中腹の常住(現成就)にありましたので奥の院は石鎚山であります。弘法大師の「石峯に誇って・・」の言葉は頂上のことであり、常住を奥前神寺、里を里前神寺としていましたが、明治初期に数々の法難を受け堂塔寺領等を失いました。明治以後は常住の下に奥の院を建立し奥前神寺と称して石鎚山お山開きの期間(7110日)は信徒登拝を受け、期間外は閉めている
場 所 愛媛県周桑郡小松町大字石鎚字黒河



石鎚神社成就社(第64番 元札所)
詳細はわかりません

納経所 成就社
場 所  愛媛県西条市石鎚山
       


仙龍寺(せんりゅうじ)(第65幡三角寺奥の院)

四国別格二十霊場の第13番札所 仙龍寺が三角寺奥の院です
四国別格二十霊場をご覧下さい。




  奥の院 香川県  


瑠璃山 
長福寺(第66番札所 雲辺寺奥の院)
御本尊 薬師如来
御真言 おんころころせんだりまとうぎそわか
納経所 長福寺
神亀年間、行基菩薩諸国巡錫の砌、この地を訪れた時、一人の老婆がこの地は雷によって災害がよくおきるのでなんとかお願いできないでしょうか、と願われたところ、菩薩は祈念し、一仏を刻み安置されたのが、雷難除薬師如来であり、難を除けると言う信仰を受けている。
山門横に験天然記念物御葉着いちょうの木がそびえ立っています。
場所 徳島県三好郡山城町大月29     0883-86-2024
長福寺鐘楼門 長福寺本堂 長福寺大師堂


琴弾八幡宮
68番札所 神恵院元札所)

法相宗の日証が琴弾山で修行していたところ、琴を弾く老人が乗る舟を海上に見た。この老人は八幡大明神であることを知った上人は、その琴と舟を祀り琴弾八幡宮と名付けた。行基が養年6(722)に訪れた後、大同2年に弘法大師が阿弥陀如来を描き本尊として安置し、琴弾山神恵院として第68番札所に定めた。以来明治初期までは神宮寺として琴弾八幡宮が第68番札所であった。しかし明治政府による神仏分離令により琴弾八幡宮は琴弾神社と神恵院とに分離されることになり、神恵院は麓にある観音寺境内に移され、阿弥陀如来像も移転に伴い観音寺境内の西金堂に移され現在に至る。
場所 香川県観音寺市八幡町一丁目1-1



 七宝山 
妙音寺70番札所 本山寺奥の院)

御本尊 無料壽
御真言 おんあみりたていせいからうん

納経所 妙音寺
当山の創建は、天武天皇白鳳5年で、本朝密宗根本の霊場であった。第52代蘇我天皇が悪夢を感じて当山を勅願寺とし、境域二町四方に七堂伽藍を建立して庶民信仰の中心となった。戦国の乱世により堂塔ことごとく灰燼したが、本尊阿弥陀仏は霊験を現して大雨を降らせ、自ら火難を免れたと言われている。以来400年の星霜を経て、本尊阿弥陀如来は平安中期の作として国指定の重要文化財となる。また寺域より発掘された棰先飾瓦は、遠く飛鳥時代までさかのぼり、その歴史的背景と仏教文化の盛衰を語る上に貴重なものである。四国最古の寺と言われている。

場 所 香川県三豊郡豊中町上高野
1986    0875-62-2605

妙音寺山門 妙音寺本堂 妙音寺鐘楼堂


獅子之岩屋
(71番札所 弥谷寺奥の院)

御本尊 除厄大師
御真言なむだいしへんじょうこんごう
納経所 弥谷寺

四国霊場第71番札所 弥谷寺大師堂奥殿に位置し、弘法大師御幼少の時、御学問せられ、又その後衆生済度厄除の千座の護摩修行をせられし岩屋である。南西に明星の窓を配し、東南正面奥に金胎両部の大日如来、その両脇並びに北東壁面に六道能化の地蔵菩薩が刻まれている。入口が獅子の口の形をしているので獅子の岩屋と呼ぶ。
場 所 香川県三豊郡三野町大見乙7
      0875-72-3446



捨身ヶ嶽禅定(第73番札所 出釈迦寺奥の院)

御本尊 釈迦如来
御真言 なうまくさんまんだぼだなんぼく
納経所 捨身ヶ嶽禅定又は出釈迦寺
当山は弘法大師が7歳の時に「衆生を救いたまい。その力がなければこの身は諸仏に捧げます。」と断崖絶壁の頂より身を投じられ、不思議な事に釈迦如来ご出現され、天より天女が舞い下り、お大師様を抱きとめ「一生成仏」とお示しになられた霊跡です。
場 所 香川県善通寺市吉原町979
     0877-63-0073

捨身ヶ嶽禅定山門 捨身ヶ嶽禅定本堂 捨身ヶ嶽禅定鐘楼堂


海岸寺(第75番札所 善通寺奥の院)

四国別格二十霊場の第18番札所 海岸寺が善通寺の奥の院です
四国別格二十霊場をご覧下さい。



金山 瑠璃光寺(第79番札所 天皇寺奥の院)
御本尊 薬師如来
御真言 おんころころせんだりまとうぎそわか
納経所 醍醐寺
 0877-46-2925
八十場野沢ノ井霊水より五丁山上金山中腹に湧き水の地に医王善逝石佛如来、弘法大師の御作を安置した金山薬師有り『四国遍路日記ニハ大師御定ノ札所ハ彼、金山薬師ヤ』云々崇徳天皇此地流布後山の下に崇徳社(白峯宮)及び別当寺が栄え、当寺は荒廃し、江戸時代中期に奥の院を復興し今日に至っている

場 所 香川県坂出市江尻町1672
       醍醐寺より車で15分、金山ニュウータウンの最上部から2分程徒歩。タウン内の住宅案内図を参考の事


昆沙門窟(第81番札所 白峯寺奥の院)
御本尊 毘沙門天
御真言 おんべいしらまんだやそわか
納経所 白峯寺


圓通山 鷲峰寺(第82番札所 根香寺奥の院)

御本尊 千手千眼観世音菩薩
御真言 おんばさらざるまきりく
納経所  鷲峰寺
天平勝宝6(754)、唐国揚洲鑑真和尚の草創。その山容がインドの霊鷲山に似ている所から釈迦如来像(元本尊)を刻み、堂を建て鷲峰寺と号した。以来、1200年余年の法灯を伝えている。大師堂には弘法、天台、智證の各大師及び蓮如上人(御自作)を安置し各宗派の信者が参拝している。寺宝として四天王立像(国の重要文化財)がある。
場 所 
香川県綾歌郡国分寺町柏原632-3    087-874-2374

鷲峰寺山門 鷲峰寺本堂 鷲峰寺大師堂 鷲峰寺鐘楼堂


讃岐一宮 田村神社83番札所 一宮寺元札所)
詳細はわかりません。

場 所 香川県高松市一宮町286
     087-885-1541


洲崎寺(第85番札所 八栗寺前札所)

御本尊 聖観世音菩薩
御真言 おんあろりきゃそわか

納経所  洲崎寺

大同年間(806~)弘法大師により創建。承和九年、智証大師が当寺に於いて密法修行の際、不動明王を刻んで安置。長曽我部氏の兵火により焼失したが、元禄12年に再興され、現在に至る。
負傷した源氏の兵士は、この寺に運び込まれたといわれている。戦死した佐藤継信は、本堂の扉に乗せて運んだと伝えられる。苔と石で「屋島檀ノ浦の戦い」を表現した庭は見事である。
また江戸時代、四国八十八ヵ所霊場を庶民に広めた遍路の父『宥弁真念』の墓が本堂の前ある。
場 所 香川県高松市牟礼町牟礼2691  087-845-2663

洲崎寺本堂 洲崎寺大師堂 洲崎寺鐘楼堂


如意山地蔵寺(第86番札所 志度寺奥の院)

御本尊 文殊菩薩
御真言 おんあらはしゃのう
納経所 地蔵寺
当時は推古天皇33(625)志度寺を開き、同寺本尊十一観世音(国の重要文化財)を彫らせた薗子尼が住んでいた屋敷跡で、旧町並を残す通称源内通りに面した住宅地にある。地蔵寺の開基はそれよりも古く、欽明天皇の頃、蘇我の稲目が建立したと伝えられている。寺には魚霊堂と悪魚討伐の伝説があり、この悪魚の祟りより里人を守る為お堂を建て地蔵菩薩を祀ったことにより地蔵寺と称する。本尊が文殊菩薩であるのは、当山開祖の薗子尼が文殊菩薩の生まれ変わりと伝えられるところによる境内には樹齢700年以上の「昇竜の柏」と呼ばれる巨木の槙柏がある
場 所 香川県大川郡志度町大字志度543    087-894-1196

地蔵寺山門 地蔵寺本堂 地蔵寺大師堂 地蔵寺鐘楼堂


霊雲山玉泉寺(第87番札所 長尾寺奥の院)

御本尊 地蔵菩薩
御真言 おんかかかびさんまえいそわか
納経所  玉泉寺
当山は弘仁5年、弘法大師開眼の地蔵尊なり。日を切って願をかければ迷える人々を救い、ある時は夢枕に立つ事もあり、いつの頃より夢告げ地蔵と呼ばれるようになった。又、当寺は古くより俳句の寺として多くの俳人達の句会の場として名声を残し、寺内には四季折々の献区が絶えない。樹齢300年の藤がある。
場 所 香川県大川郡長尾町造田宮西1002-2   0879-52-3452



胎蔵峯寺
88番札所 大窪寺奥の院)
御本尊 阿弥陀如来
御真言 おんあみりたていせいからうん

納経所 大窪寺
弘法大師四国霊場御開創の砌、求聞持法を修した処である。しかし、御本尊様に捧げる清水がなく附近を尋ねると大杉の根本に清水があると観じ、御所持の独古にて加持すると清水が湧き出たと伝えられる独古水(金水、銀水とも云う)がある。年中水の絶えることなく、この水にて薬を服用すると大なる効果があると伝えられる。又、西側にはせり割りの行場があり、ここは心よからぬ者は岩にはさまれ通り過ぎることが出来ぬという。附近の岩には多数の梵字が刻まれ先人の修行の跡がある。
場 所 香川県大川郡長尾町多和兼割96 大窪寺本堂と大師堂の間を徒歩40分登る 0879-56-2176

医王山與田寺(八十八ヶ所奥の院)

御本尊 薬師如来
御真言 おんころころせんだりまとうぎそわか
納経所 與田寺

当寺は行基菩薩の開基、特に中興増咮僧正は後小松天皇の帰衣厚く、僧正は大師の御再来と言われ、永く勅願所とすべしと、天皇より虚空蔵院の院号を給わる。以来四国八十八ヶ所の奥の院として又、諸堂東面日本唯一の寺とし、当寺増咮僧正が植えられた門前の椋の木一対は、天然記念木とし当寺の由緒と歴史を物語っている。
場 所
香川県大川郡大内町中筋468   0879-25-4726

與田寺山門 與田寺本堂 與田寺大師堂 與田寺鐘楼門



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